ヤクルト時代/過去のデータ!東京ヤクルトスワローズ総合情報サイト

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ヤクルト時代
1970年、92敗と歴史的大敗を喫し、ダントツの最下位。8月には1936年の大東京軍と並ぶ16連敗を喫した。この連敗記録は2リーグ分裂後、当時のワースト記録となり、現在もセ・リーグのワースト記録である(パ・リーグでは千葉ロッテマリーンズが1998年に18連敗を喫した)。尚、セ・リーグでは2003年の横浜ベイスターズが94敗を喫すまではシーズン90敗達成球団が出てこなかった。
1971年に三原脩を監督に招聘するが3年連続Bクラス。
1973年11月26日、虫プロダクションの倒産に伴い鉄腕アトムのキャラクター使用を中止。チーム名をヤクルトスワローズに変更。
1976年5月13日より荒川博前監督に代わり広岡達朗が監督に就任。なお、国鉄時代の1962年からこの年まで15年連続シーズン負け越しでこれはセ・リーグワースト記録である。日本記録は南海ホークス時代の1978年から福岡ダイエーホークス時代の1993年にかけて記録した16年連続。
1978年、打者では若松勉、大杉勝男、チャーリー・マニエル、投手では松岡弘、安田猛、鈴木康二朗らが活躍し球団創設初優勝・日本一を達成した。しかし1979年はチャーリー・マニエルの放出を軸としたオフの補強に失敗し、森昌彦ヘッドコーチを解任したが、これに激怒した広岡監督途中休養(指揮権放棄)もあって、一転して最下位。
1980年、武上四郎監督が就任。就任初年にチームは2位へ浮上するも、以後は低迷した。
1984年、武上監督がシーズン途中で休養し、中西太代理監督が就任するが、中西監督も休養し、投手コーチだった土橋正幸監督が就任し、5位浮上。1985年・1986年と2年連続最下位に甘んじるが、広沢克己・荒木大輔が台頭。同時に日本一時のバッテリーだった松岡・大矢が1985年のシーズンを最後に引退した。
1986年オフ、関根潤三監督を招聘。チームは低迷したが池山隆寛・栗山英樹ら若手が成長。
1989年オフ、野村克也監督が就任。野村就任と同時に正捕手となった古田敦也の活躍もあって1992年・1993年とリーグ2連覇、1993年は日本一。1995年、1997年にも日本一に輝くなど、優勝争いのできるチームへと成長した。しかし日本一の翌年はことごとく4位に終わるなど強さが長続きしなかったことから真の強豪とはいえないと見る向きもある。1998年開幕直前に日本ハムファイターズとの交換トレードで野口寿浩を放出し後の選手会長城石憲之を獲得。同年高卒新人五十嵐亮太を擁し球団史上初のファーム日本選手権制覇を達成した。しかし一軍は4位に低迷し野村監督は同年限りで勇退し若松が監督就任。
2001年に日本一となった。その後も2002年 - 2004年も3位以上を保ち、4年連続でAクラスになった。4年連続でAクラスを確保したのは、球団史上初の出来事である。ただし2003年は前年順位でヤクルトを上回る巨人と同率3位だったため開幕権を得られず、2005年の開幕はビジターで行われた。