東京ヤクルト時代/過去のデータ!東京ヤクルトスワローズ総合情報サイト

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東京ヤクルト時代
2006年シーズンからは、古田敦也が選手兼任監督として指揮を執ることになった。2005年12月19日のプロ野球実行委員会において、古田の悲願だった「東京ヤクルトスワローズ」へのチーム名変更が全会一致で承認され、ユニフォームに国鉄以来となる「Tokyo」の文字が復活した。
2006年も前年同様、リック・ガトームソンのノーヒットノーラン等の活躍で交流戦2位になるなど、交流戦で順位を上げたが、交流戦終了後ほぼ5割ラインに停滞し続ける。結果3位となり2年ぶりにAクラスは確保したが、優勝争いにからむことはほとんどなかった。
2007年は怪我に泣かされ続けた1年となった。五十嵐、石井弘寿のいわゆるロケットボーイズが2006年オフに行った手術の影響で1年を棒に振ったのを皮切りにディッキー・ゴンザレス、アダム・リグス、高津臣吾など主力級が次々と離脱、まったく戦力が整わなかった。シーズン143試合目で1986年以来、21年ぶりの最下位が確定。
8月から東京のUHF、東京メトロポリタンTV(TOKYO MX)で今年度初のテレビ中継が開始。以前から年間数試合は中継があったが、近年は1試合も中継が無い年もあった。
2007年9月、古田監督の現役引退及びヤクルト球団からの退団も併せて発表された。なお伊東昭光ヘッドコーチも辞意を表明しているため、最年長のコーチである八重樫幸雄打撃コーチがヘッドコーチ代理を兼任していた。10月25日に日本ハムのゼネラルマネージャーを退任した高田繁が次期監督に就任し、翌26日には西武ライオンズの投手コーチを退任した荒木が次期一軍投手コーチとしてチームに復帰することが決定した。年明けの2008年1月には藤井秀悟などを交換要員する3対3のトレードを日本ハムと行った。
2008年は開幕3連戦で巨人に3連勝するなど4月終了時は3位に立ったが、石川、館山に続く先発がシーズン途中でローテーションを大幅に変更するなど不在、また福地寿樹や青木、飯原誉士をはじめとする俊足の選手が中心となったが、アーロン・ガイエルの離脱などで長打力に欠けた。夏場には北京オリンピックで青木と宮本が抜け戦力が安定せず、シーズン終盤に8連敗(そのうち2試合がサヨナラ)を喫し、CS争いを繰り広げる中日、広島に引き離され5位に終わった。しかし、去年まで完全に崩壊していたリリーフ陣が共に怪我で苦しんでいる中入団した林昌勇と昨年登板が無かった五十嵐亮太の復活と押本健彦の加入、先発で結果が出ない松岡健一が転向して結果を残し完全に整備され、高卒ルーキー由規の登場や、新しくレギュラーとなった若手野手の台頭など来年以降の足がかりを掴んだ一年だった。
2009年1月、横浜ベイスターズからFA権を行使していた相川亮二を獲得。FA権が導入されてから初めてのFA補強を行い、長打補強のためジェイミー・デントナを獲得した。
シーズン序盤から2位をキープして首位巨人を追走しセ・パ交流戦順位も2位で終え、前半戦で貯金を最大14まで伸ばした。
後半戦に入った途端急失速、8月には1971年8月以来となる月間18敗(7勝)、9月にも1992年以来の9連敗を喫し、更にはチームを支えてきた相川亮二を初め、田中浩康や飯原誉士、宮本慎也、川島慶三といった主戦力が怪我で離脱し、怪我をした宮本が強行出場するなど厳しい状態が続き、一時は阪神や広島に抜かれ5位に転落した。しかし、高木啓充や鬼崎裕司の登場で息を吹き返し、10月9日の阪神との直接対決に勝利して3位が確定し、3年ぶりのAクラス入りで初のCS進出を決めた。中日とのCS第1ステージでは石川の好投とデントナの逆転2ランホームランにより第1試合に勝利したが、新型インフルエンザにより選手が離脱したことも響いて中日に2連敗し、敗退した。